親だって嫌いなら別れていい『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために』

親とはについて考える、かぜのたみです。

最近、親の話題をよくテーマにしていますが、いずれも反応が多く「みんな何だか気にしてるのか」と思って、様々な反応を見ています。

昨日蔦屋書店で見た幡野広志さんの本『ぼくたちが選べなかったことを、選び直すために』のワンコーナーがとても良かったのでツイートしたところ、思いの外反応がありました。

今日は、私たちは選べなかったことを選び直す段階に来てるんだね、ということについて書いてみたいと思います。

親といえど別に離れてもいい

この2ヶ月ほど、私は実家の両親と話すようになりました。会うこともでき、今は月に1度ほど母親や父親から近況報告の連絡をもらうような関係性にまでなれました(でも私はほぼ自分から連絡はしないスタンス)。

というのも、ブログにもこれまでも書いて来たのでご存知の方もいるとは思いますが、私はこの3年ほど、実家とは連絡を全く取っておらず、帰省はおろか、生きているのか、死んでいるのか、どこに住んでいるのかさえ、両親がわからないほど疎遠でした。

今母親から話を聞くと、事情を知らない知人たちが「警察に捜索願いを出した方がいいのでは」など騒いでいたようですが、母親は「何か思うところがあって現れないのだろう、いつか帰ってくるはず」と気長に待つ予定だったと話していました。

母親自身はうっすら「自分が子供にしてきたこと」を自覚しているので、それが原因だと気づいていたようですが、知人らに話すことではありません。

事情を知らない他人が、家族の問題にあれこれ口を出すのは本当に野暮だなと思います。

↓家族のことは家族にしかわからないということを記事にもしました

子供の頃から母親が父親の愚痴をエンドレスに話し続けるので対処した話
たみ
たみ

家族とは、人が立ち入りすぎると野暮で、クローズドすぎるとヤバいという難しい関係です

一度距離を取って見えてきたこと

私が両親とほぼ絶縁状態にしていたのは理由は簡単で、距離が近すぎるとお互いに病むからです。

母親はどちらかというと、こちら側に侵入してくるタイプで、子供の時にはそれが過干渉となり、私の首を締めてきました。

父親は問題から逃げるタイプ。母と娘、夫婦の問題に関わろうという姿勢がない性格です。

そんな夫婦の力関係がアンバランスな家庭環境だったので、子供時代は私のことはほぼ母親が「良かれと思って」決めることが普通。「私の人生」ではなく、ほぼ母親に巻き取られ、まさに「選べなかった子供時代」を過ごしてきました。

”自分が何もかも選ばせてもらえなかったこと”は、人が暮らしていくのに、結構深い恨みとなるようで、自分の権利を剥奪された怒りというのは、私の内面を蝕んできました。

なので、ある時精神科医と話した時に「実家はないものと思いなさい、物理的に距離を置くのがいい」というアドバイスをもらい、両親には自分の居所も知らせず、遠方に引っ越したのでした。

たみ
たみ

一生会わないのも一つ、一度距離を取ってみるのも一つで、選択肢は無数にあります

自分で選ぶのは自分を尊重すること

この時、私は初めて両親のことについて自分で「離れる」ことを選びました。

するとみるみる間に枯渇していた生きるエネルギーがわき、復活の道を歩んだのでした。「自分の人生を取り戻す」まさにそのような感覚の3年間でした。

自分で選ぶことは、その人本来の権利を取り戻すことです。

その人がその人でいる限り「選んじゃいけないこと」なんてないと思います。

”親だから”嫌いになってはいけない
離れてはいけない
いつも仲良くしてなきゃいけない

そんなことは決してないと思います。私は数年間心身ともに距離を置くことで、自分の人生を取り戻せたように「距離を選べば大丈夫」ということを学びました。

たみ
たみ

ただの人間関係の一つなのに、どうして大きく感情を揺さぶられるのでしょうね

家族とは別に良いものでも悪いものでもない

「家族とはいいものよ」ともしかしたら母親はいうかもしれませんが、私にとってそれはただの”家族という呪縛”でした。

なので別に一元的に「良いもの」とせずに、「悪いことやダメなこともある」「相性が合わない時もある」と、普通の人間関係のように広い認識を持って、別に良いものでも、悪いものでもないただ”家族”という風に捉えて全然いいのだと思います。

合わない人と距離が近いとトラブルになります

たったこれだけのことなのに”家族”になった途端、良い家族を演じたり、何事もないように振舞わなきゃいけないのは変です。

 

たみ
たみ

「家族」という肩書きがしんどいなら、外してしまっても構わないと思います

言葉に救われる時もある

「親だから」「家族だから」と、心の交流なしに親密な関係だけを求めるのが破綻の元だということに、そろそろ色んな人が気づき始めていて、むしろそれが”家族の問題を生んでいる”ことに、世間全体的に自覚し始めてるなというのがこの数年の雰囲気だと私は感じます。

毒母

というワードが出てきて、世に浸透したのも「家族の病理」に苦しみ、自分の生きづらさの何に原因があるのかと探している人が多かったからだと思います(私もその一人でした)。

今は「教育虐待」というワードが出てきて「子供に押し付けること」「子供の権利を尊重すること」まで、ようやく世間の視点も進んだのか…というのを実感しています。

私も「どうして母親や父親と話すだけで、こんなにも息苦しいのだろう」と長年謎でした。”毒母”というワードが流行ったおかげで、原因がどこにあるのか明確になり、過ごしやすくなったのも事実です。

ただ、そこに囚われすぎていたら、今度は今のように自分と親との関係を振り返ったり、ここまでの発展もなかったと思うので、あまりワードに囚われすぎずに過ごした方がいいなと感じました。

毒母だからこう

あまりに病みが深い時はそれが救いになったのですが、今では普通に老いた一人の女性です。コミュニケーションの方法は相変わらず癖がありますが、「元毒母」として私の中では目の前にいる母親を見ています。

「家族だから」なんでも良いというものではない

人には良い状態の時と悪い状態の時があります。

なのに、家族だけは「全部良くなければ」とするので、ひずみが出ます。家族というのも数人集まっていますが、一人の「人間」のように個性豊かな存在かもしれません。

なので付き合い方はその家族それぞれです。

分解して見てみると「こうすれば大丈夫」とか「ここだけは絶対無理」が見えてきて、他の人間関係と本当に変わらないなと思います。

幡野さんが言う通り「選べなかったことを、選びなおすために」私たちは日々過ごしてるのかもしれません。

たみ
たみ

選べるのに選ばない、それは自分の本当にしたいことが他に眠っているからです

まとめ

自分にとって親とは何だろう、とふと思い浮かびました。

今のところ自分にとって親とは“価値観や思考のきっかけを授けてくれた最初の人”という表現が一番しっくりきたので、そうしています。

保護者や養育者という社会的な立場だけでなく、先輩や師匠にも似た雰囲気があるなと感じるからです。

両親は両親で「自分はどんな親だったのか」という話を時々聞くので、振り返ってもいるようです。

子供がリアルに子供の時、家族の距離が一番近くて親密な時に、もっとそうした話が出来るなら、「良い家族の偶像」に私たちは囚われず、もっと自由に関係性や距離間を”選べる”のかもしれません。

それでは素敵なファミリーライフを〜!

↓自分のなかに知らない間に家族から色々インストールされていた話を書きました

母親から引き継いだ自分を潰す呪い”専業主婦マインド”を手放す

家族についての本を集めました!

誰かに本当に伝えたいこととは

たみ
たみ

だいたいのことは不要なのかもしれないなと思いますね

血が繋がってないと家族じゃないの?

たみ
たみ

万引き家族は様々な課題を私たちに投げかけますね

育ての親と生みの親、どっちが本当の親?

たみ
たみ

是枝監督が描く家族の話は私たちの「当たり前」を揺さぶってきますね

理想と現実の間で揺れる

たみ
たみ

実は”身の丈”と思っていたことが”理想”だということもあるかもしれませんね

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経済学で家族を読み解く

たみ
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「なんとなく言われていること」がデータでみるとどうなのか楽しみですね

あの方も悩まれたのだから

たみ
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すごいタイトルですが知りたいですね

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今から40年前に書かれた「家族への疑問」

たみ
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ひと世代、ふた世代を経て私たちは変わったのか、河合先生はどう読み解いてらっしゃるのでしょうね

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たみ
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