「お気に入りに囲まれた暮らし」に対する違和感

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日常
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身の回りの物はこまめに見直し、かぜのたみです。

自分の身の回りの持ち物を見ていて、ふと「お気に入りの物だけを持つのは不可能」と感じました。

人というのは、どうしても序列をつけてしまうクセがあります。

全てお気に入りというのは、逆に自分の感性が落ちているのでは…と思いました。

今日は「身の回りにあるもの、全部お気に入りにしたい」という願望にフォーカスして振り返ってみたいと思います。

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お気に入りの物だけを持つのは不可能

自分の持ち物が少し入れ替わった時に感じたのは「結局、気に入らない物があるから、気に入る物があるな」ということです。

ものすごく当然のことですが、”自分が気に入らない点”を感じているので「お気に入りのポイント」が見つけられます。

こんな例えでいいのかと思いますが、嫌いな人がいるから、好きな人もいて、好きな人のよさが際立つのが健全な感覚というもの。

みんな好き!は甚だ怪しいです。

手にしたばかりの時はどれもお気に入りでも、使って入るうちに”序列”が出てくるのは仕方がないこと。

誰だって、いいところ悪いところがあるように、物にも良いところ、悪いところがあるのが普通です。

お気に入りに囲まれた暮らしは、つまるところ「お気に入りだった物」に囲まれた暮らしと表裏一体の可能性も孕んで入ると気づいて、ちょっと身震いをしました。

 

たみ
たみ

全てお気に入りだったはずなのに、気づくと「よく使う物」が登場するのがいつも不思議です

「お気に入り」をキープするために排除が必要

身の回りの物を全てお気に入りにするには、出てきてしまった「お気に入りでない物」を逐一排除する必要があります。

逆な見方をすれば、1つのお気に入りを持つために、幾多と排他された物が存在するわけです。

ものすごい切り取り方ですが、現実の見方というのは色々ありますね。

「お気に入り達」をちやほやするためには、割と自分的に都合よく物を判断する必要があり「物が捨てられない」という人の方が優柔不断とはいえ、性格的にはある意味では優しい気がします。

そもそも”気に入っている”というのは自分の主観なので「全て気に入っている」ことにしてしまえば、ざっくりでも収まることです。

別にそれで気が済むのならいいですが、そうしてざっくり捉えた「お気に入り」は本当に気に入って入るのか定義が緩くなる矛盾が「なんだか人らしい」と私は感じました。

たみ
たみ

はっきり区分けするとそれはもう執着ですが「お気に入りにしておきたい」そうした願望が出てくるのも人ですね

別に気に入ってはないが使っている物の方が実は大切

「お気に入りの物だけ持つ」とするのが難しいなと思うのは、生活に必要な物ほど「お気に入り」どうこうの話ではなくなることです。

例えば、ゴミ袋やトイレットペーパー、靴の中敷きなどまで身の回りの製品を全てかき集めると、全てお気に入りにするのは解釈としてかなりしんどいです。

生活に必要な物ほどランクを下げられがちで評価されず、別に必要ではないのに「気に入っている」という判断だけで、その人の中で上位に食い込めるのは物的な視点でいえば”とんだワンチャン”。

最近、自分の感情をフラットにして物を使っていると「これがあるから私の生活は成り立って入るな」という物ほど地味で目立たず、普段は大した評価も感謝もしていませんでした(普通すぎてありがたみを感じていない)。

自分にとって都合の良い”お気に入り”たちを贔屓していると、そうした生活のインフラのありがたみを感じれなくなるので、そこをもっと大切な目で見たいと感じました。

たみ
たみ

もしかするとお気に入りを追い求めるより”日常が続くことのありがたみ”が感じられてハッピーかもしれませんね

お気に入りにしておきたいという個人の都合

「お気に入りの物だけに囲まれた暮らし」は、結局は「お気に入りにしておきたい」という個人的な感情の都合だなと考えると、自分の中で腑に落ちました。

どこか”綺麗なものだけ見たい”という感性と繋がってるようにも思え、そこが自分的には違和感があったのだと感じました。

人が生活していると、見たくない物や存在自体を消してしまいたいもので溢れていることに気づきます。

それらを排除した結果、なにが起こるかというと「嫌なものに対する耐性が以上に弱くなる」ということと、「ありのままを見れなくなる」という脆弱性じゃないかなと思いました。

病んだり、辛くなることがかえって増えてしまう。

心穏やかに暮らすには、気に入らないものを排除する方法も一つですが「そういうものだ」として、自分の中で濾過できるスキルがあった方が随分過ごしやすい気がします。

たみ
たみ

好き嫌いで判断するより、ある程度のスルースキルがあった方が暮らしやすいです

まとめ

私が「お気に入りに囲まれた暮らし」に長らく感じていたのは、その”排他感”です。

仲良しだけ集まって暮らせたらいいですが、そうもいかないのが世の常。本当に自分の幸福度を上げて暮らすためには「自分が使っている物に対してありがたみを感じる」くらいがちょうど良い気がします。

自分の理想を押し付けて、それが実現しなければ反応を覆す

つまりものすごくわがままなだけですが”自分の心地よさ”を追求するのは、一辺倒ではいかないなと「お気に入りに囲まれた暮らし」を想像すると感じました。

別に気に入ってなくても一緒にいる。

そうした物の尊さや素の自然さを感じれた方が幸福度はかなり上がりそうです。

それでは素敵なフェイバリットライフを〜!

 

↓日常の違和感を書いているシリーズです

丁寧な暮らしのせいで一生分の家事をすり減らした話
”ミニマリストになりたい”という自分探し
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たみ
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