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ミニマリストが考える「私たちの日常を疲れさせてる物の正体」

生き方

リアルなミニマムとは何かを考える、かぜのたみです。

ミニマリズムという意味ではなく、人にとって、ミニマムマストな感覚とは一体何なのかについて最近考えます。

決して、少ない物で暮らすことや、好きな物だけに囲まれる暮らしとは、きっと違う場所に存在するだろうなと感じます。

ミニマリストとして日常生活を見渡すと、人の暮らしやどんな人が何を買うのか、何を好むのかを見るのが面白くなってきました。

人の好みや行動には、樹形図のような構造があり、「これも好きならあれも好きだね」という繋がりを見いだすのが最近楽しいです。

今日は住む地域を変えて気づいた「見栄とプライドを維持する生き方もあるけどハイコストだから、そこから脱却するのが楽に生きれる方法みたいよ」ということを書きたいと思います。

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ミニマリストが考える人が生きるためにミニマムマストな感覚

住む場所によって、お金の流れや人の価値観は全く変わるものだと感じます。

公園でパンを食べながらふと思いついたのですが、「生きること自体は健康であればそれほどお金はかからない」ということに気づきました。

私が公園で食べていたのは、形が整っておらず商品からはじかれたアウトレットのパンだったのですが、別に味は美味しく、形が整っていないだけで価値が下がってしまうのは変です。

それが決してパンだけでなく、私たち自身が生きる世間にも流布されていることがヤバイのだと思いました。

たみ
たみ

見た目で判断できることと出来ないことがあります

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普通に過ごすだけでもお金がかかる場所

別に何かイベントがある訳でなく、日常生活なのにお金がかかる場所があります。

それは「人の目が気になる場所」と「見栄を張りたくなる場所」です。

前に私が住んでいたのはタワマンがそびえ立つエリアで、さらにそれに拍車をかけるように億ションの建設がバンバン進むような地域でした。その周りには「タワマン生活を送れないけど頑張る」という以前の私と同じような人たちが住んでいたのかもしれません。

そんなエリアにも一応、無印やユニクロなどもあるのですが、売り場を見に行くだけでも妙に疲れる。

通路を歩いていると、ぶつかられる。
めっちゃ見られる。
見ている商品をガン見される。

私本体の人格は見られず、ガワだけ観察されているこの不愉快さは何だろうと不思議でした。

何が原因かわからず、通路が狭いせいだろう、売り場が狭いからだろうと思うようにしていたのですが、最近下町のエリアに越してきて気づきました。

私が売り場で感じていたのは目に見えぬ「マウント」だったのではないかと。下町で人の目の圧から解き放たれて気づきました。

お店に例えるとこんな感じです。

しまむらでくら寿司では感じない圧が、ユニクロでモスであればちょっと圧があります。同様にGUでスタバ、でもちょっと(かなり)圧を感じます。

くら寿司で私は隣の人が何を食べてるか気にしたこともないですが(別の意味で皿のカウントは気になる)、スタバで隣に座っている男性が、何を頼んだのか、読んでいる本が何か、パソコンの画面が何かが気になります(気になりすぎ)。

そういう、「別にみんなしまむらでミニストップ」でいいんじゃないかというところを、まるで身の丈にぴったりとでも思えるように「ユニクロでモス」(だけどユニクロに見えない)というような仕様になってるところが、自分がお金をちょっとずつ目減りさせている仕様だなと思いました。

私はごく平常心で暮らしてるつもりでしたが、同じ売り場にいる誰かからの視線は”格付け”だったのだと考えると、色々一致して胸の内がスッキリしました。そして同様に、自分も誰かを格付けしてしまっていたことにも気づきました。

東京に暮らしてる時、大阪の都心で暮らしている時も同じ圧があります。地方に行くとのびのびするような気楽さがありました。

きっとそれは「人の目から離れて、自分が気楽に振る舞える」から、楽しく過ごせるのだとようやく理解できました。

たみ
たみ

おしゃれ業界にはパッと見で発生する圧がありますね

↓自分のプライドの高さに気づいたことを書きました

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人は知らない間に人のことを格付けしている

特にお互いが同じ土俵にいるような錯覚を覚える場所であれば、空気のように”格付け”は自動的に発生します。

私が感じた圧は、ユニクロとGU、無印の売り場でした。

圧を感じるのは決まって少し上の40代〜60代の女性で、距離感が通常時よりもだいぶん近い、というのが特徴です。

おそらく人は「自分よりちょっと上」の人が見ているものが良い物に見え、「自分よりちょっと下」に見える人が持つものを胸の内で小馬鹿にするのです。

女性は年齢や見た目で格付けを行う場合が多い気がします。美醜やバランス、体型、そういうものにも左右されるでしょう。

「いいなぁ」という好意的な感覚だったはずのものが、いつの間にか悪意やマウントになってしまう。

ちなみにInstagramで人気の投稿も、GUやユニクロ、無印が俄然トップです。「みんなが同じものを持っているけど私が持つとちょっと違うのよ」その差別化がちょっとしたしんどさの蓄積を生んでいるのだと思いました。

たみ
たみ

ちょっとした感覚の蓄積が大きく疲弊します

↓頑張っていた時のことを書きました

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ミニマリストが考える見栄とプライドを捨てて生きる方法

とりあえず、万人が購入できるブランドから離れることからスタートでないかと思いました。「みんな一緒」からマウントが生まれるのは間違いないです。

「みんな一緒」というのはブランドによく象徴されていて、ハイブランドばかりがブランドでなく、ブランドみのないブランド、無印やニトリが良い例で立派なブランドの一つです。

そこから離れるのがまず「どんぐりの背比べゾーン」からの脱却です。同じような階層に思えているのは自分だけで、実は自分にとっては実は思いの外無理をしているかもしれないことに気づくためです。

自分的には、トップバリューでダイソーくらいがいい感じです。

「あれ、トップバリューでダイソーが楽だな」と感じ始めたら良い頃。自分が何にお金を遣ってきたのか見えるのだと思いました。

そして自分が選ぶ意思とは反して、街はだいたい、そこに住む人たちの価値観に準じて店舗も構成されているので、どこに住むかはとっても重要です。

たみ
たみ

客観的に自分を見る訓練にもなります

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まとめ

小さな商店の店番をしている、おばあちゃんの様子を見ていて思います。座っているだけなのに、微笑める。そこに至るまで、どんな暮らしをされてきたのだろうかと。

自分もそう意識しない間に、「誰かから見られる自分」「比較される自分」がいて、濁流の中に佇む岩のように日々削られているのかもしれません。

都会には都会の、田舎には田舎の、下町には下町の、それぞれ人の目があるものですが、内容は全く別のものです。まずそこに自覚的になることと、振り回されないよう気づくことが大事かなと思いました。

タワマンに住んでも、団地に住んでも、誰がどう住むか、どう生きるかはその人次第です。

イケてるアパレルブランドを着ても、リサイクルショップで数百円で売られている服を着ても、どう着るかはその人次第です。

実は自分が、環境やブランドに依存しすぎていることを自覚して、またもや猛省しました。

ブランドみのないブランドで身を固めて、自分を守ろうとする必要がなくなると、生きるのも楽になり、お金も目減りすることがないだろうなぁと思います。

たみ
たみ

引っ越してお金も気持ちも楽になりました

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お金と幸せの相関性について

たみ
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物質的なものと無形なものに幸せは分けられるそうです

幸せを構成する3つの要素を知る

たみ
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組み合わせで属性が変わるんですね

自分たちの暮らしを自覚すること

 

たみ
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私たちが普通だと思っていても違う、外国の人から見た視点は大事ですね

何が自分の利益になるかを見極める

たみ
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他人に引きずられない判断基準を持つことが大事なんですね

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ブレた自分軸を取り戻す方法を学ぶ

たみ
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敏感すぎる人は方法を知っておいた方がいいですね

 

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たみ
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