ミニマリスト生活も2年?ほど、かぜのたみです。
プライドの高さ、特にこれまで気になったことがありませんでした。
でも今回住む場所を考えるのに、自分が建物や住むエリアにプライドを持ちすぎなんじゃないかと、ふと立ち止まりました。
持ち物に対してのプライドは、ほぼないのでわかります。
今日はそんな、自分が妙にこだわっていた住環境へのこだわりとプライドを気にするのがめっちゃだるくなってきた話を書きたいと思います。

急にめっちゃだるくなりました
ミニマリストが自分のプライドに気づく
誇り高く生きるのは、決して悪いことではありません。
誇りもなく、自分を蔑む方が問題です。
でも全体的なバランスから考えて、あるジャンルだけ高すぎるのは、むしろもう執着。
わたしは自分の「住まい」にこだわりがあるのだと気付きました。
土地とプライドは切っても切り離せないもの
由緒ある家系でもなく、実家も郊外の新興住宅地で、土地に関しては特に際立った特徴なく育ちました。
ですが、おしゃれな場所やイケてるエリアに妙に自分がこだわるのです。

おしゃれなエリアに地縛霊でもついてるのかもしれません。
イケてる場所に住むと、自分がイケてる人になった気持ちになりました。
ですが、本当にイケてる人はどんな場所に住んでいてもイケてます。
わたしのこの土地とプライドは、社会や周りからの評価と、自分を結びつけて考える唯一のポイントでした。
住まいと自分のプライドは繋がってる
もしかしたら、自分が身の丈と考えていたのは等身大の自分より、遥かに上なのかもしれない。
最近はそう考えています。
今は憧れだったエリアに住んでるのですが、周りにある洒落たカフェ(というかスタンドで圧がゴイスー)やカレー屋(もちろんスパイスカリー。めっちゃ並ぶ。)や、パン屋(というかブランジェリー。高い。)にはほぼ寄り付かず、ガストや業務スーパーにばかり行く生活です。

近所にあって救われました
住む前は、近所の洒落たカフェで読書でもしようと胸を膨らませていました。
でも実際に暮らしてみると、普通に高く感じるのと行列ができすぎていて、洒落たカフェには寄り付きさえしません。
洒落たカフェにふらりと行く自分
ずいぶん小さい妄想でした☺️

ここがもっとも小さい民である証拠です

ちッサ〜
自立とは自分の力で現実に暮らすこと
自分の妙なプライドに気づいてから、色々なことを手放しています。
都会のタワーマンションに住むばかりが、人生の幸せではないことをようやく理解しました。
思えば、わたしが尊敬する経営者の人たちはタワーマンションではなく、昔ながらの団地に暮らしています。
身の丈以上の暮らしを求めても、自分は何一つ変わらない
最近はそう考えるようになりました。

こだわるのがよしっていうのもなんかもぞもぞします
安っぽさや、庶民さを自分は忌み嫌いすぎたのではないかと落ち込みました。
安物買いの銭失い
高くてもお金を失うことはあるのに、安物だけが忌み嫌われる。それが安物かどうかは自分が決めることで、その物自体が使いやすく、使いたい年数だけ使えればそれでいいのでないでしょうか。

という感じです
一般人のくせに、たかだかイキっても知れてます。
「お気に入り」や「こだわり」が自分の首を絞めることをこの1年でようやく気付きました。
マクドナルドよりモスバーガーを、ミスタードーナツよりクリスピークリームドーナツを、セリアより無印良品を、ユニクロよりZARAを、ベローチェよりスタバを。
そうした選択肢の連続が、わたしの貴重な収入を阻んでいる。
大して、自分は好きでもないのにw
本当の自分の身の丈は、マクドナルドだし、業務スーパーだし、しまむらだし、GUだし、ダイソーだし、ベローチェだし、ガストだし、王将だし、コーナンです🙂
まとめ
自分がハッピーに過ごせていれば何も関係なかったのに、自分が何を気にしていたのか悔やまれます。
自分がこれまで気づきもしなかったプライド。ブランドや土地に関する選択の仕方。
これからはさらに、少ないお気に入りの生活で暮らすより、ただの物が少ない暮らしにシフトです。
それではステキな身の丈ライフを〜!
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