目上の人から貰った物はどうしてこんなにも私たちの心を塞ぐのか

日常

夏は好きな方、かぜのたみです。

世はお盆休みや墓参りシーズンということで、親戚一同が集ったり、いつもは会わない親族とも顔を合わせる時期ですね。

いつもは会わない人と会う時期は、物も心も動く時期です。

最近、自分が考えていることに「目上の人からもらう物(や言葉)はなんでこうもしんどいのか…」があり、そこと合わせて今日は書いてみたいと思います。

目上の人から貰った物はしんどい

物を減らしたい!と考えたときに、急に立ちはだかる大きなハードルが「人から貰った物群」です。

特におばあちゃんや義母の人などから貰った物は、最高に扱いにくいようで「これは…捨てられない…」と使わないし、欲しくない、手元にも置いておきたくないのに「ああ…」という物が結構ある人は多いことでしょう。

先日は「おばあちゃんがくれて…」と弁明してから、持ち物を見せてくれる人と会いました。確かにその前置きをしたくなる気持ちはよくわかる。

おばあちゃんがくれたから使ってますよ感

わかる。

わたしもここまで歯切れが悪い文章になっているのは「いらん」ことが、大変言いずらいからです。

その「言いずらさ」が”目上の人から貰った物”全体に漂っており、それが私たちの心をがっつり塞いで来るのだと思います。

たみ
たみ

「不要」と強めに伝えても届かない、会話ができないことに疲れるのかもしれません

目上の人…facebookが衰退した理由と似ている

facebookがいつの間にか衰退してしまった理由は皆様がご存知の通りです。

目上の人がくれた物には、このfacebookにみんながいずらくなってしまった理由と自分的には結構似ています。

言葉にできてせいぜい「なんかすごいな…」くらいに止めるのが精一杯。

圧がすごい、圧がすごいことには変わりないのですが、それ以上のしんどさを感じます。

それを言えない

さらにこれも辛いです。良いとか悪いとかでなく「対等さにない」ここがポイントな気がします。

めっちゃ上からコメントくるやん…(モヤァ)と心では思っていても「ありがとうございます!」と返信しなければならないこの感じ。

目上の人から貰ったコメントや言葉がけ、そして物。

自分は全て同じフォルダに格納されています。

目上の人がくれる物(尊敬している人ではない)には、ほぼ(モヤァ)が含まれており、それもなんとなくみんながモヤモヤしてしまう理由の一つです。

そして、当人には届かないだろうな…という絶望感に心を打ち砕かれるのです。

たみ
たみ

自分ももし成長して…と想像するだけで気持ちが重くなります

相手の視点に立つ難しさ

人はされたことしか、やっぱりできないのだろうな、とふと思う時があります。

自分がされて嬉しかったことを人に施したくなり、されて嫌だったことはしない。この繰り返しで所作は決まってくるのでしょう。

ただ、これは生活環境や時代背景によりかなり変化すること。

「自分がされて嬉しかったこと」がそのまま時代が止まっていたら、やっぱり人に施すことも時代が止まったままです。

 

最近自分がよく聞いたり目にするのがこのテーマです。

おばあちゃん
お母さん

この関係性の中で「おばあちゃん」から「孫」にあげるものが微妙(というか不要)、という話題です。どうも困っている「お母さん」が多い印象。

「おばあちゃん」と「お母さん」間でも物の行き交いはかなり難しそうですが、「孫」まで離れてしまうと色々なギャップが激しいです。

でも「おばあちゃん」は「孫」の喜ぶ顔が見たい。「孫」もそれを理解しており、貰った時には最高に喜んで”見せる”のですが、そのあとは「お母さん」に問題解決が託される…というやつです。

「お母さん」的にも不要…孫も不要…となっているのに、不要…なん…だけどね…というまま、風化していくのを待つことになります。

こうした話を聞くと「もう通貨が違うな…」という気持ちになります。

今わたしがドルを貰ってもすぐ使えないように、目上の人から貰った物も「海外のお金」に似た印象です。

くれた人は物凄い価値のあるものとして渡してきてくれても、その使い方を知らなければ価値も消えてしまう。

そこを埋めるには「相手の立場や環境に興味を向けること」なんだろうな…と思います。

ただ、私たちは知っています。

こっちのこと、ぜんぜん知ろうともせんな

ということに。

私たちは「目上の人には自分の声が届かないこと」をなぜか体験として知っており、そして諦めてしまっています。

 

たみ
たみ

届く人と届かない人の差がかなりある分野ですね

まとめ

この問題を解決する「魔法」はありません。どんなメソッドをもっても、解決は難しいことでしょう。

なぜならもう物でもなく「対話」の問題だからです。おそらくですが、これは「人の話を聞く」ことのバグが起きており、そこでのトラブルだと思われるからです。

↓こちらにも書きました

例えば、サービス残業やセクハラがここまで問題になって世間的にも「ダメだね」となったから、下々の者は命拾いして良かったようなものの、少し前までこちら側の「いやだ」はなかったことにされてきました。

「いやだ」「応じられない」と返答しても、なぜか向こう側には届かず圧で潰されてきたようなもの。

目上の人(強者と言い換えてもいい)が、こちらの話を聞いてくれることがないに等しいのはなぜ

ここだと思うんですよね。もしや前時代には断る権利さえなかったんでしょうか。

わたしもどんどん年齢を経ていくにつれ、人ごとではないと言い聞かせるばかりです。

やっぱりこれも”「なかったことにされる」ことに声を上げ続ける件”に含めてもいいのかもしれないなと感じました。

権利を獲得する、に近いですね。

それでは、素敵な自分らしいライフを〜!

 

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たみ
たみ

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