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買いたいけど使わない…ジレンマに悩む50代〜60代の課題とは

生き方

60代は親世代、かぜのたみです。

片付けの本を見ていると、わたしの親世代(または対象)へ向けて書かれた本が多いことに驚きます。

先日、母親と話していて「私たちは“買いたい時代”を過ごしてきたから」という言葉が出てきて、ふと立ち止まりました。

買いたいことがメインの時代

そうした時代背景があったこと、この世代間に起こった価値観の変動がものすごく大きかったんだなと感じました。

そして、その時代背景の狭間で「買いたいけど使わない」ジレンマに揺れている私の母親世代の方達の姿が見えます。

今日はわたしの親世代の価値観について書いてみたいと思います。

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わたしの親世代と子供世代で起きた価値変動

「物がたくさんあることが良」「欲しい物を手に入れられるのが豊かさ」とされていた時代があり、もはや現在では過去形で語られることが増えてきました。

物があること=生活水準の高さ、豊かさ

この公式が長らく時代と生活を支配しており、それが働くモチベーション、生活を維持する原動力だったのかなと想像します。

でもある時を境にこの公式は崩れ去り「シンプルなのが豊かなくらし」と価値変動が起きました。

物を持つ=豊か

時間とゆとりを持つ=豊か

これほど大きな価値変動が起きたのが、母親世代と子供である私世代のおおよその30年間だったかなと思います。

もうこれは個人の意思判断でなく、社会や、時代背景というもの。

地殻変動が起きた上に安定しようとしているので、歪みが起きても仕方ありません。

物を持つ=豊か

この価値観で培われた「買いたい」という強い欲望は今日もどこかへ飛び出したいと蠢いているのかなと、わたしは感じています。

たみ
たみ

「買いたい」が先に発動しちゃうと大変ですね

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買いたいけど使わない…ただ“買いたい”

わたしの親世代の価値観は「物中心」の暮らしでした。物はその家庭のステイタスを表し、一億総中流であることを誇示するような、そうした役割も担っていた気がします。

うちもよそもみんな一緒のレベル

そうした雰囲気が「物選びもなんとなく無難」という空気として子供の頃の私にも感じられました。

ゆえにかどうかはわかりませんが、母親(とその世代の人)は皆一様に「買いたがり」で「あげたがり」です。物を渡すのがなんとなく無難、わかる。

街へ出ると買いたがりの人が溢れています。でも実際に使うか、予算があるかと振り返ればまた別。

買いたいけどそんな余裕はない
買いたいけど使わない

母親の姿を見ていると、なんだかそんな風に感じます。

デパートに行っても、雑貨屋に行っても、商品を見ているのはわたしの親世代の女性たち(つまりよそのお母さん)が他の層と比べると圧倒的に多いです。

たみ
たみ

ちょっと買い物に行くと、周りはマダムだらけで驚く時があります

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時代により物の買い方も変わった

「今の若い人はAmazonでばかり買い物するのねー、うちの息子はすぐAmazonで買ってるわ〜」と知人のマダムが話していたとおり、私たちの暮らしはネットを中心に買い物の方法も大きく変わりました。

リアル店舗で見て触発される→購入する、という受動的な流れがずいぶん減り、

「自分が欲しい物をネットで見つけ出す」という能動的な行動にシフトしていきました。

「買いたい」という欲望が強烈なのは、自分で引き起こしたことではなく“誰かから引き起こされた欲望”だからだとわたしは考えています。

誰かから刺激された「買いたい」は収まるところを知らず「この場に来た限り何か買いたい」と行き場を失い、結局使わないのに何か買う→物が増える原因になっている気がします。

そうすると物を減らし続けるのはかなり非効率的、まず「他人に鼓舞された“買いたい”をコントールすること」が先決だと思いました。

そうはわかっていても、長年の行動習慣はなかなか変えられず、ジレンマを抱えてる人も少なくないのではと売り場に立っているといつも感じます。

たみ
たみ

皆口には出さないですけど「なんか買いたい」という思いで頭と胸がいっぱいなんじゃないかと思います

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親世代の課題は物から心へ語りをシフトさせること

母親と話していて感じることがあります。

「あまり自分の気持ちや考えを話さない」「解決策を考えない」ことです。

持ち物や食事、人の話はよく登場しますが、「自分はこう思ってるので〜してくれると助かる」だったり、「〜だと大変なので〜してほしい」といった感じの会話だったり

人に自分の感情を言葉にのせて”相手に伝わるように伝えたりすること”が苦手なのかなと見ていて感じることが多いです。

わたしが母親から学んだコミュニケーション方法は、「自分の気持ちを上手く話せないから、物に気持ちを乗せて相手に渡す」という、物をメインにしたコミュニケーションだったなということです。

わたしも大人になり、社会に出るといかにコミュニケーションを物に頼り切っていたかと気づくことが多く、少しずつ軌道修正していっています(今も途中です)。

思えば昔は、女性が「自分を語れる」「自分の考えを伝える」機会自体がほぼなかった印象があります。そのため、お祝いごと一式、挨拶一式、お中元もお歳暮も、引っ越し挨拶も帰省のお土産も全て「贈答用の物」でした。

相手との関係を構築するため、物はそうした役割を担っていたのですが、ものがたくさん溢れすぎ「物の価値」が減ってしまったこと、コミュニケーションのツールが幅広くできたことで、人との関係構築の方法にも変化が訪れたのでしょう。

それに気づかず「習慣だけ残っちゃった」のが、“人に物を押し付ける人“なのかなと思いました。

親世代の人たち(と大変大きく括りますが)は見ていると、どうも「自分の気持ちを相手に伝えることを、物以外のコミュニケーションではあまり経験を踏んでいない」そんな気がします。

時代背景が変動したことに合わせて「物を介したコミュニケーション」から、相手に伝わる言語の使い方や「会話でのコミュニケーション」にシフトさせることが今後の課題なのだと思いました。

たみ
たみ

受け取る方としては体裁立てた贈答品や言動より、その人が何をどう感じたかきちんと語ってもらえた方が嬉しいですよね

↓ここと連動して実家の物の多さとゆとりについて記事を書きました

貧乏だと部屋が荒れるのは本当か実家を見て考えた
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まとめ

ふと気づくと、世の中の価値観や大切にされるものが「物から内面へシフトした」のがこの30年ほどでした。

買いたいけど、使わない

買いたくて買ったけど使わなかった

「買いたい」気持ち「あげたい」気持ちは、人との会話でのコミュニケーションに置き換えていく

そんな作業が親世代とそんな親世代に育てられた私たち子供世代が身につけると、より生きやすくなる今すぐ必要なスキルだと思いました。

なぜ人は「物を渡すのか」

物を介してコミュニケーションしたいからなんですね。

なので最近は「物のやりとり」に目を向けるのでなく、ようやく「人の気持ちを汲み取ると、その人の気は済む」ことを学びました。

相手の背景にどんな感情があるのか、そこにコミットしていくと「あげる!」「いらん!」問題を解決することが多い気がします。

物のやり取りはあくまで表層的なコミュニケーション。

物を介して私たちは何を伝えようとしているのか、それを見るのが大切ですね。

その人が本当に伝えたいのは何ですか?

それでは素敵なライフを〜!

↓時代が動くに連れ価値観の変動もどんどん起こります

個人が物を所有する時代はもうすぐ終わる
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YouTubeでも話したのですが

この記事の内容をYouTubeでも話してみたのですが本人でも聞いているうちに眠くなりました…

おそらく声質と発声方法、話し方のテンポ全てが眠くなります…

寝る前に聞く睡眠導入剤として動画は撮影した方がいいかもしれないですね…眠い…

 

 

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たみ
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